パズルのピースを貰うように

たんたん

2009年07月27日 21:00

大学時代父と同じ下宿、同じ誕生日だった高橋さんと、
同じく同じ下宿だった藤枝の岡崎さんが、お越しになりました。

いきさつはこちら。

http://faro.i-ra.jp/e124386.html

車から降りられたお二人は、ハツラツとしてお若く、
晩年急激に痩せて小さく老けこんでいた父とは
対照的でした。

やはり私が気付いた段階で、首に縄つけてでも
病院へ連れていけばよかったかもしれないと
一瞬後悔が心をよぎりました。

「西村君はね、私と同じ大阪出身だから、こういうものが
良いかな~と思ってね」

と、大阪から「おこし」を持ってきてくださった高橋さん。
父に会えるわけではないのに、、、とぐっときました。

お二人とも、ずっと父が卒業してすぐ入社した運送会社で
働いていると思っていたそうです。

その会社のトラックを見ては、「西村君、今はどこの営業所かな?」と
岡崎さんはよく思ったそうです。

高橋さんは、今日私に話せるすべてのことを忘れないようにか、
キチンと写真やファイルを用意してくださっていました。

三島の下宿で撮った写真だそうです。




左が父、右が高橋さんです。
まだ19歳くらいで、顔が幼いですね。

父が亡くなった後、三島に1年住んでいたことを知りました。

高橋さんは、ヤフーマップで、「ここだったんですよ」と
地図上で示してくれました。



今でも、この場所に何らかの建物が建っているはずと
教えてくださいました。

そして、これが2年の時に住んでいた、新宿の下宿の屋根の上。



さっきの写真より、ちょっと大人びて、サングラスが
胡散臭さを醸し出しています(笑)



この下宿の地図も持ってきてくださって、

「あ、ここね、、、」

と、下宿のそばのところに、ペンで丸を書いて、

「ここね、安兵衛っていう銭湯でね、よくみんなで
行ったんだけど、南こうせつの「神田川」あるでしょう?
あの“横町の風呂屋”っていうのが、ここなの」

へ~~~

でも、この作詞家の喜田條さんって、もっと1キロ以上
離れていたところに住んでいたのに、わざわざここへ
通ったらしいんだよね。」

ふぅ~~ん、、、

「あの歌の通りでね。
僕らの下宿、すぐそばなのに、冬の帰り道なんか
髪の毛が凍っちゃうことあったんですよ」

と、岡崎さん。



このあと、父はマンドリンクラブの練習に打ち込みたいからと
新宿の下宿を後にして、下北沢へ越したそうです。

練習の音を気にしてのことだったんだろうということでした。

「西村君は、マンドリンではとても苦労していたようだった。
高校生から弾いているようなメンバーに、ど素人が2年から
始めたんだから、、、

下宿でも、いっつも弾いていたからね。
卒業演奏会の時も、セカンドパートを任されて、必死だった。」

と、高橋さん。

「変な話、下宿では良く寝転がっていたよ。
でも、怠けものというわけではなくてね。
彼はとても真面目だった。僕らの方が
よっぽどズルかったもんね。」

と、岡崎さん。

高校生の時は生徒会長だったそうで、その高校は
そのころ、甲子園でも優勝するくらい有名な私立校
だったということでした。

「何も知らないの?」

と聞かれ、ハイと答えるだけの私。
若いころの話を、一切聞かずに終わってしまいました。

こうしていろいろな方から、少しずつパズルのピースを
もらって、今頃になって父を追いかけている私です。

もっとこれからいくらでも聞けるとおもったのに。

お二人も実は、今日40年ぶりに再会したそうです。

「必死に働いているころはね、定年を迎えたら、
それからいくらでも会えるって思ってた。

それで去年やっと探し当てた番号に電話して、、、
本当にショックだった。
若すぎるって。」

ずっと父のこと、思っていてくれたお二人。
かけがえのない楽しい青春の思い出を、いっぱい
共有したんだろうなと感じました。

お会いできて、よかったと心から思いました。

そして父の分も、素敵な人生をこれからも歩んで行って
欲しいと強く思いました。

父も一緒に聞いていたと思います。
墓前に素敵な土産話ができました。

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